似顔絵を描くのは、生きることのようなもの(後編)
特集 「わたしの住む街」
会いたい人と好きな場所がふえることで、今いるこの場所をもっと、好きになれるんじゃないだろうか。
「自分の住む街のことを知りたい」と思って始めたこの企画。京都の気になる人や場所を訪ねていきます。
第3回 インタビュー &NIGAOE 笑達(しょうたつ)さん
―― 自分を変えたい。どうしたら、自分を変えられるんだろう?
ひとりで知らない環境に飛び込んでみれば、何か、変わるんじゃないだろうか。
バックパッカーをしようか。色んな国に行ってみたら何か見つかるかも知れない。
笑達さんは最初、そんなことを考えていた。
「海外に行かなくても、日本にもいいところがある」
お遍路に行ってみたらどうか。知り合いになったお坊さんに、自分の気持ちを話してみると、そんな言葉が返ってきた。この時に初めて、お遍路というものがあるのを知った。
※お遍路 弘法大師(空海)の足跡をたどり、四国にある八十八か所の霊場をめぐる
「お遍路をするなら、一度、本気でやってみたらいい」
本気? それってどういうことなのか。お坊さんの言葉に、笑達さんは首をかしげた。
お金を持たずに、お遍路をする。
四国には「お接待」という文化があるそうだ。
※お接待 遍路をしている人に、食べ物をふるまったり、宿の提供などをする風習
お金ではなく、人のほどこしによって命を繋ぐ。
お坊さんの言葉を受けて、笑達さんはお遍路を始めた。
自分なんてなくてもいい。
毎日毎日、ただただ歩く。
多い時には、1日に50キロほど歩いた。足にできたマメが潰れると、歩くたびに痛みがはしる。
「若いのにえらいねえ」
道行く途中で、誰かが声をかけてくれたり、食べ物を恵んでくれた。野宿をしながら、毎日、歩き続けた。
お遍路に励むなか、「不思議な体験をした」と口にする笑達さん。
ある夜、山の中で野宿をしていたと言う。
山のなかにぽつんとある休憩所でひとり、眠っていた。ふと目が覚めると、辺りは真っ暗だった。まだ夜明けには遠い、夜中の3時。どしゃぶりの雨が降っていた。
笑達さんは、ふと恐くなった。
こんな山奥の暗闇のなかで、ひとり眠っていたのか。
その場所でじっとしているのが恐くなり、雨の中、カッパを着て歩く。4時を過ぎると、少し明かりがさしてきたが、それでも、足元が見えるか見えないかぐらいの、わずかな明かり。うっそうとした森のなか、視界が悪く、雨音しか聞こえない。身体にはしきりに雨が降り注ぐ。見えないし聞こえない。寒くて鼻がつまる。カッパ越しでも、雨に打たれ続けた肌は、触感がおぼろげになった。
身体の感覚が遠くなっていく。
そんな状態で歩き続けていると、ふと分からなくなった。
「自分って、どこからどこまでだろう」
自分の周りにあるもの。山や土と、自分の境界が曖昧になった瞬間があった。
僕は別に、山でもいいのかも知れない。木や土と一緒なのかも知れない。
「自分の範囲ってこんなに曖昧なものだったのか」
その感覚に、笑達さんは安心したのだと言う。
当時はそこまで深く考えていなかったが、今になってその出来事の意味が分かるようになったそうだ。
「僕には自分がない」
それを駄目なことだと思っていた。でも、自分なんて曖昧なもので。僕は山でもあるし、土でもある。無理に「これが自分だ」と境界線を引かなくてもいい。自分なんてなくても、やりたいと思ったことは、素直にやればいい。そう考えるようになった。
お遍路での出会いとご縁を何か形に残したい。
そう思った笑達さんは、お遍路をする途中から、似顔絵を描いて渡しはじめた。
自分は人に救われて生かされている。
のべ2カ月ほどのお遍路の体験を経て、そう考えるようになった。
「このいただいた恩を、僕は次に出会った人にちゃんと渡す。そしたら僕は、この世界で生きていける」
このお遍路が、自分の生き方に一番影響を与えた経験だという。
やり遂げたということが、ひとつ自信になった。ここまでしても死ぬことはなかった。そう思えるようになったことも、心強かった。
似顔絵を描くのは、人と会う手段なのだと、笑達さんは言う。
「僕にとって似顔絵っていうのは、出会ったその人を描けるのが似顔絵で、僕は出会った人に生かされているから、似顔絵を描くことは生きること」
似顔絵を描くことで、自分は生きていける。
そう口にする笑達さんのことが、今の私にはまぶしかった。
羨ましい、なんて。そう思うのは簡単だから失礼な気もする。でも私は、どうしようもなく羨ましかった。
似顔絵が仕事になる?
大学4回生。
就職活動の時期になると、笑達さんの周りも慌ただしくなってきた。
自分もどこか受けてみよう。そう思い、就職活動を始めた。
「就活は結構おもしろかった」と、笑達さんは話す。
似顔絵の話をすると相手が興味を持ってくれた。
就活は順調に進み、内定をいくつかもらった後も、しばらくは面接を受けたりしていた。最終的にここに行こう、という会社も決まった。
「せっかく4年間、似顔絵を描き続けているのに、もったいない」
造園関係の会社に就職する。大学を卒業した先輩に話すと、そんな言葉が返ってきた。
笑達さんは、その先輩が立ち上げた出版社に、お手伝いとしてよく出入りしていた。
「うちの会社に入って、似顔絵事業部を作ればいい」
先輩の言葉に、笑達さんは考えた。
似顔絵を仕事にするなんて、思ってもみなかった。趣味で続けられたらいいやとしか考えていなかった。
これが本当に、仕事として成り立つのだろうか?
先輩の言葉に、はじめは半信半疑だったと言う笑達さん。
どうやったら、似顔絵を仕事にできるのか?
たしかに、今の絵はまだまだ未熟だし、売るとしてもわずかな値段でしか売れないだろう。でももっといい絵を描けば、もっと高い値段で買ってもらえるから、絶対に、仕事として成り立つはずだ。サイズと値段をこのぐらいにして。
先輩の話を聞いているうちに、似顔絵でやりたいことが、たくさん思い浮かんだ。
たしかに、自分が大学4年間続けてきたのは、似顔絵を描くことだ。
卒業間近になって、決まっていた内定を断り、その先輩の会社に入ると決めた。
笑達さんは、その会社のなかで、「WORLD1(ワールドワン)」という似顔絵事業部を立ち上げた。
描き続けた先にみえる景色を見てみたい。
会社に勤めること7年。2012年に笑達さんは独立し、「&NIGAOE」を設立。似顔絵作家として、個人での活動を開始した。
笑達さんが似顔絵を描き始めて、もう16年になると言う。
「これからも長く、似顔絵を描き続けようと思っていますか?」
私は率直に、そんな質問をしてみた。
「思っていますね。そこに対して、全然迷いはないです。描き続ける限りは、自分は生きていけると思うから」
やめたくなることってないのだろうか?
どうして続けていけるのか。私自身が知りたいのだろう。毎回、この質問をしてしまう。
「今のところはないかな。しんどいときはありますよ、もちろん。描きたいイメージが湧かん時とか、描きたいイメージはあるのに描けない時とか。自分の技術の無さが情けなくなったり。なんでこんなにダメなんや、なんでこんなにヘタなんやって」
今でもそんなことを思うんだ。
笑達さんのその言葉に、驚いた。
似顔絵を描き続けて16年という月日が経っても、あんなに素敵な似顔絵を描いていても、まだそうしてもがくことがあるんだ。
以前は、どうしても人の目を意識してしまう自分を強く感じた、と言う。
「こう見られたいが、描きたいとイコールになってて。そしたら、すっごいしんどいんですよ。描けへんしそもそも、そんな絵。で、そうなった時点で、もう似顔絵は似顔絵じゃない。描いてる人を向いてないんですよね。例えばあの、衣笠さん(私の名前)を描いてる似顔絵を展覧会で展示しようとするじゃないですか。そしたら、はじめは衣笠さんを描こうと思ってるはずやのに、いつからか、展示に来た人にどう見られたいかという頭が働いたら、それって衣笠さんを描いてないでしょ、すでに」
この人は、もう何年も考え続けてきたんだな。それが、言葉の端々から伝わってきた。
「今思えば、邪念なんやけどね。どう見られたいかって。すごいどうでもいいことっていうか。人からどう見られようと、自分の描きたい絵なり、この人が美しいなって思った部分を描ければ、似顔絵として、それが一番自然なはずなんやけど」
私は、どうだろう?
今こうして書いていて、そんなことを思うだろうか?
笑達さんの話を聞きながら、ふとそんな言葉が頭をよぎる。
「そういう時とか、やっぱりめっちゃしんどいんやけど、でもだからって、もう似顔絵を描きたくないとか、やめようと思ったことはないですね。自分の夢みたいなものがあって、例えば、80年生きるとして、80歳になったときの景色を、すごく見てみたいんですよ。似顔絵を一生描き続けたら、どうなるんやろうって。自分が描いた似顔絵がたくさんの人の生きてる日々の傍らにある。その景色はきっと美しいんじゃないかなと。そんな気持ちがずっと前からあるから、やめる理由がない。その景色を見るまでやめる理由がない、ってことは、もう死ぬまで描くっていうことじゃないですか」
この間、35歳になったと言う笑達さん。
もし80歳までと思えば、あと45年?(こうやってカウントするものではないだろうけど)
「そうですね、もし80歳で死ぬとなったらあと45年。まだ半分もいってないからな。そうですよ。楽しみやなと思ってそれが」
楽しみ。すごいなあ。それが楽しみだと言えてしまうこと。
似顔絵をとおして、たくさんの人に出会い続けてきた笑達さん。
そのなかで今、彼自身はどういうふうにありたいと、思うのだろう?
自分が住む場所に根差しながら生きていきたいと、笑達さんは言う。
「その土地との関係性を作りながら生きていく。そこに住まう人々や動物、その土地にある植物など様々な生き物に囲まれるなかで、その命との繋がりを感じながら生きている。そういう人に会うと、すごくいい顔してなって思うんですよ。都会に生きる人がそうじゃないとは思わないし、自分らしく生きている人は誰でも素敵だと思います。ただ僕はもうちょっと、自分の生きる場所の土と繋がって生きたいなと思うようになって」
笑達さんは来年、京都から彼の地元である和歌山へ、引っ越すのだと言う。奥さんとふたりで、決めたそうだ。
「今はまだ、どこにも根っこははれてないんですよ。で、自分の体で飛んでいっているんやけど。根っこをちゃんとはりながら飛んで行けたらいいな、と思って。今までどおり、色んな場所に出張とかは行くんやけど、自分がここで生きるっていう場所を作りたくて。そしたら、自分が思う美しい人になれるかな」
似顔絵を描くことは、人と会う手段なのだと話していた笑達さん。
自分はどう生きていたいのか?
一つ一つの出会いをとおして、おのずと、自分の気持ちとも向き合っていたのだろう。
「似顔絵を描くのは、生きることのようなもの」
笑達さんの言葉を、私は思い出していた。
あとがき。
「また似顔絵を描いてもらいに来ます」
私は笑達さんにそう言った。
顔には、その人の生き方やその人自身があらわれると、私は信じている。今ももう、顔つきが出来上がってきているのかも知れないが、きっと、もっと隠せなくなるだろう。
良いと思うところ、悪く思えるところ。しみやしわを全部刻んで。
夢とかやりがいとか、正直、よく分からない。こんなんで私は、大丈夫なのか。
「いい顔の大人になりたい。美しい顔の大人になっていきたい」
でも結局、自分の思うところは、その言葉に尽きるのかも知れない、とも思う。
「似顔絵を描くのは生きることのようなもの」
笑達さんの言葉が心に残った。真似できない、なんて思う。自分が生きることと、それほど密接に隣り合う何かなんて、今の私には見当たらない。でも、それでいいのかも知れない。時々、信じたい言葉を取りだして眺めながら、私は私の日常にいれば、それでいいのかも知れない。
何十年か経って、また笑達さんと向かい合うとき、描かれた私が、「いい顔してたらいいなあ」と思う。まあ期待どおりになんてならなくても、大丈夫。笑達さんだったら、いい顔を見つけ出してくれる気がする。きっと、描いてもらうことはできる。笑達さんは、描き続けているだろうから。
そう思って安心する。どうなるか分からないこの先の時間も。
「どんな似顔絵になるだろう?」
いつになるか分からないその時が、楽しみだなあ、なんて思えるから。
&NIGAOE
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