たくさんのひとりが集う場所(2)
会いたい人と好きな場所がふえることで、今いるこの場所をもっと、好きになれるんじゃないだろうか。
「自分の住む街のことを知りたい」と思って始めたこの企画。京都の気になる人や場所を訪ねていきます。
第1回のインタビューは3回に分けてお届けします。
たくさんのひとりが集う場所(2)
(月と六ペンス 柴垣希好さん)
―― 月と六ペンスを始めるまでのお話を、聞かせていただけますか?
就職しない、という選択。
柴垣さんが喫茶店に惹かれるようになったのは、大学生のときに始めたアルバイトがきっかけだという。家から近く、時給もわるくない。ただ何気なく、お店の求人を見て応募した仕事が、自分に合っていた。
喫茶店で働くなかで、「いつかは自分でお店をしたい」と夢見るようになったが、卒業後はまず就職だろう、とぼんやり思っていた。
大学生活も終盤をむかえ、いよいよ就職活動の時期が迫ると、学校では、就活のための説明会が開かれた。
どうやって就活を進めてくのか?
何に気をつけるべきなのか?
スーツは黒の無地を選ぶこと。
シャツは白の無地に柄物は避ける。
ネクタイは派手すぎないものが好ましい。
延々と、そんな話が続く。
その先に見えたのは、しめつけの強いサラリーマン社会に苦しむ、自分の姿だった。
「僕には無理だ」
まずは会社勤めを、と思っていたがそれをもう、やめてしまおう。柴垣さんは、就職とは別の道を選ぶことにした。
「いつか喫茶店を開く」という夢に向けて、進んでいくことにしたのだ。
憧れのお店で働く。
22歳。
大学4回生になった柴垣さんは、喫茶店で修業を重ねていこうと考えた。
「次に行くならあそこだ」と心に決めていたお店に、なんと、飛び入りで頼みこんだという。
そのお店は、イノダコーヒーの四条B2店。
イノダコーヒーは店舗によってその雰囲気が異なるという。四条B2店には、幼い頃からの思い出があり、昔から「格好いいなあ」と憧れていたのだそう。
「ここで働かせてください。
お金はいりません。」
憧れのお店で働きたい。
柴垣さんは必死に頼み込んだ。
そのつよい想いが伝わったのだろう。
やる気を認められ、無事採用してもらえることになった。
「お給料はちゃんともらえました」
そう言って笑う柴垣さん。
お金をもらって憧れの場所で働けることが、何よりも嬉しかったという。
イノダコーヒーでの日々。
コーヒーひとつにしても、覚えることはたくさんあった。
イノダコーヒーでは、砂糖とミルクをあらかじめ入れた状態でコーヒーを出す、というのが基本だった。
砂糖やミルクはいるかいらないか。いるなら、どのくらい入れるのか。コーヒーは薄めか濃いめか。温度はぬるめかあつめか。お客さんによってその好みは違う。
「お砂糖、ミルクはお入れしますか」
と毎回、常連さんに聞き返すわけにもいかない。覚えるのはコーヒーに限らず、新聞にしてもそうだ。読んでいるものはそれぞれ違う。
大変だなあ、と私は思ったが、柴垣さんは「それが楽しかった」という。
イノダコーヒーでは「自分のファンをつくれ」と言われていた。教えられたことだけをするのではなく、自分がいいと思うサービスはどんどんやったらいいと。だから、一度来店したお客さんのことは覚えるように努めたのだと。
たとえ同じ仕事をしていたとしても、人によって、感じることや思うことは全然違うのだろう。私には、こんなふうに言える何かがあるだろうか。話し続ける柴垣さんの横顔を見ながら、ふと、そんなことを思った。
迷い。
イノダコーヒーで働き始めて2年が過ぎたころ、思わぬチャンスがやってきた。
店長候補として働きませんか、という声がかかったのだ。
子どものころから憧れていたお店でこの先も長く働ける。
名前の通ったお店でもあるし、ここで何十年か勤めて独立すれば、自分の夢を早くに実現できるかも知れない。就職していない立場で、こんなに有難い話をしてもらえることが、この先あるだろうか。
どうしよう。
柴垣さんは迷った。
でも、少し冷静になって考えてみれば、すぐに答えが出た、という。
イノダコーヒーをやめることにしたのだ。
「え、やめちゃったんですか」
それを聞いて思わず、声に出してしまった。
同じ場所に何十年かいて独立するというのは、ひとつの方法としてそれはそれで正しいのだろう、と私は思う。だけどそれは、柴垣さんにとってベストな方法ではなかったのだろうか。
イノダコーヒーをやめた理由をたずねると、「面白くない30歳になると思った」という答えが返ってきた。
このままほかの喫茶店で働くこともなく、同じ場所に勤め続けたとして、自分には何が話せるだろう。いつか喫茶店を開いたとき、自分のお店に来てくれるお客さんと会話するとなっても、何も話せないんじゃないか。
ずっと、ここにいるわけにはいかない。
イノダコーヒーをやめた柴垣さんは、また別の喫茶店で働き始めるものの、それが続かなかった。
1日でやめ、違うお店に行っても2週間でやめ、ということを繰り返した。どうしてもイノダコーヒーと比べてしまう。これでは勉強にならないと思うと、そこで働く意味を見出せない。
アルバイトを転々とする日々に、気持ちは落ち込んでいった。将来、喫茶店を開けるという見通しはない。大学を卒業し就職した同級生たちは、もう立派に仕事をこなしている。
出口が見えない生活のなか、
柴垣さんは26歳になっていた。
つづき
・たくさんのひとりが集う場所(最終回)